このページでは魚人島の中心広場、ギョンコルド広場の元ネタであるコンコルド広場という場所について紹介致していきます
ギョンコルド広場のモデルや元ネタが気になる方はこのままご覧ください
魚人島 ギョンコルド広場
(C)尾田栄一郎/集英社 『ONE PIECE 64巻』より引用
ギョンコルド広場は魚人島の北方面にある広場です
(C)尾田栄一郎/集英社 『ONE PIECE 64巻』より引用
麦わらの一味と新魚人海賊団の戦闘はこのギョンコルド広場で行われました
またオトヒメ王妃の演説も度々ギョンコルド広場で行われており、そしてオトヒメ王妃がホーディの凶弾に倒れた舞台でもあります
ギョンコルド広場には円形の台座が一つあり、オトヒメ王妃はそこで演説をしていました
(C)尾田栄一郎/集英社 『ONE PIECE 64巻』より引用
10万人が戦闘を行える程の広さがある広大な広場で、80mあるワダツミの身長を超える壁のような住居に囲まれています
(C)尾田栄一郎/集英社 『ONE PIECE 64巻』より引用
モデル コンコルド広場
コンコルド広場について
位置 | フランス パリ市8区 |
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フランス語 | Place de la Concorde |
設計者 | アンジュ=ジャック・ガブリエル |
面積 | 84000m2 |
コンコルド広場はパリ一番の大きさを誇る広場で、エトワール凱旋門からは徒歩約20分、ルーブル美術館からは徒歩約10分で訪れることができる観光名所の一つです
広場の中心には1836年にエジプトのルクソール宮殿から運び込まれた、高さ約32mのオベリスクが置かれています
ヨーロッパにあるオベリスクの多くは強奪されたものという歴史があるのですが、コンコルド広場のオベリスクはをエジプト国王 ムハンマド・アリーが友好の証として贈ったものです
オベリスクは別名、クレオパトラの針とも呼ばれています
またオベリスクの他、噴水と8つの女神像がコンコルド広場のシンボルとして有名です
コンコルド広場は8角形になっており、その隅にフランスの8都市を象徴した女神像がそれぞれ置かれています
下記はその8体の女神像の名前です
ブレスト |
ルーアン |
リル |
ストラスブルグ |
リヨン |
マルセイユ |
ボルドー |
ナント |
この像たちはそれぞれ、その名前の都市が存在する方角に配置されています
ギロチン処刑の場
(C)尾田栄一郎/集英社 『ONE PIECE 64巻』より引用
ホーディはギョンコルド広場でネプチューン王家の処刑を行おうとしましたが、モデルとなったコンコルド広場には王家が実際に処刑された歴史があります
処刑されたのはフランス国王ルイ16世と、その妻であり「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」でおなじみのマリー・アントワネット王妃です
コンコルド広場が作られた1755年当初には、ルイ15世の騎馬像が設置されており「ルイ15世広場」と呼ばれていました
しかし18世紀後半に起こるフランス革命の際に騎馬像が取り払われ、「革命広場」と呼ばれるようになります
そして現在はブレスト女神像が置いてある場所に処刑用のギロチンが設置され、当時の国王ルイ16世とその妻マリー・アントワネットを含む計1343名がその革命広場で処刑されました
ギョンコルド広場でのネプチューン王家処刑が成っていた場合、ギョンコルド広場の名称は変わっていたかもしれませんね