このページでは、麦わらの一味の剣豪、ロロノア・ゾロの名前の元ネタとなった海賊である「フランシス・ロロノア」について紹介します!!
残虐な海賊として名を馳せたフランシス・ロロノアがどんな人物だったのか、気になっていた方はこのままご覧ください
ワンピースにおけるロロノア
人物名 | ロロノア・ゾロ |
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異名 | 海賊狩りのゾロ |
懸賞金 | 11億1100万(111巻時点) |
初登場 | 1巻 |
年齢 | 21 |
身長 | 181cm |
誕生日 | 11月11日 |
好物 | 白米、海獣の肉、酒に合う物 |
四皇・麦わらのルフィを支える右腕で麦わらの一味の精神的支柱である大剣豪ゾロ!
もうメインもメインなキャラクターなんで特に説明はいらないですね(^ ^)
好きなところは大量にありますけど、ナミやウソップやチョッパーが活躍したときに「へえ」って嬉しそうな顔するゾロが特に大大大好きです!
海賊フランソワ・ロロネー
本名 | Jean-David Nau ジャン=ダヴィッド・ノー |
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生年 | 1630年頃 |
没年 | 1668年頃 |
出身地 | フランス(レ・サーブル=ドロンヌ) |
拠点 | カリブ海(特にトルトゥーガ島、パナマ) |
フランソワ・ロロネー(François l’Olonnais)は、17世紀にカリブ海で活動したフランスの海賊(バッカニア)です。残忍な手法を取ることで有名な海賊で、特にスペイン人に恐れられていたことで知られています。
フランシス・ロロノアという呼び名について
現代(特に日本)ではロロネーが「フランシス・ロロノア」と呼ばれることもありますが、彼の通称としては「フランソワ・ロロネー」の方が一般的です
「フランソワ・ロロネー(François l’Olonnais)」が「フランシス・ロロノア」とも呼ばれる理由には、以下のような言語的な要因があります
英語とフランス語の発音の違い
フランス語表記:「François l’Olonnais」
フランス語の名前である「François(フランソワ)」は、英語圏だと「Francis(フランシス)」と表記されることがあります。
また「l’Olonnais(ロロネー)」は「オロネー地方(フランス西部)の」という意味で、英語では「L’Ollonais」または「Lollonais」と表記されることもあります。
そのため英語圏では 「Francis Lollonais」 や 「Francis L’Olonnais」 と表記されることがあり、ここから「フランシス・ロロノア」という表現が生まれたと考えられているそうです。
本名はジャン=ダヴィッド・ノー
ロロネーが本名の「ジャン=ダヴィッド・ノー(Jean-David Nau)」ではなく、「フランソワ・ロロネー(François l’Olonnais)」で知られるようになったのには、いくつかの歴史的・文化的な理由があります。
1. 出身地に由来する名前
「フランソワ・ロロネー」は実際には彼の本名ではなく、後世にそう呼ばれるようになったと考えられています。
まず「François(フランソワ)」ですが、これは「フランス人」という意味です。現代でこそ個人名(フランス語の男性名)として使われていますが、中世から近世(とくに16~17世紀頃)には、「フランス人」を指す言葉としても使われていました。つまり
そして「l’Olonnais(ロロネー)」ですが、これは彼の出身地であるフランスのレ・サーブル=ドロンヌ(Les Sables-d’Olonne)に由来しています。
17世紀のフランスでは、「l’Olonnais(オロネーの者)」のような形で出身地を使って名前が付けられることがありました。
つまり「オロネー出身のフランス人」が暴れまわったことで広まったジャン=ダヴィッド・ノーの異名が、「François(フランス人) + l’Olonnais(ロロネー出身)」なります。
また彼に関する最も有名な資料である、アレクサンドル・エクスケメランの『海賊史(Bucaniers of America)』の中で「François l’Olonnais」と記されたことが、定着した要因の一つです。
2.海賊特有の異名文化
17世紀の海賊は本名ではなく、エドワード・ティーチの”黒ひげ”やバルバロッサ兄弟の”赤ひげ”のように、異名で知られることが一般的だったそうです。
本名よりも異名のほうが有名になることで、敵対勢力(特にスペイン人)に恐れられる効果がありました。
結論
フランソワ・ロロネーが本名の「ジャン=ダヴィッド・ノー」ではなくこの名前で知られるのは、
- 出身地「オロネー(l’Olonnais)」を名前に取り入れたため
- 当時の文献で「François l’Olonnais」と記されたため
- 海賊が異名を使う文化があったため
これらの理由によって、「フランソワ・ロロネー」という名前が定着しました。
ロロネーについて
フランソワ・ロロネー(ジャン=ダヴィッド・ノー)は、17世紀にカリブ海で恐れられたフランス人海賊の一人です。彼は軍人として西インド諸島に渡りましたが、除隊後にフランス領のトルトゥーガ島の私掠船団(国家公認の海賊)に加わり、スペイン船や沿岸都市を襲撃するようになりました。
スペイン人への過酷な仕打ち
ロロネーは特にスペインを標的にしており、敵に対して容赦ない残虐な拷問を行うことで悪名を馳せました。90人の乗組員を擁するスペイン船を拿捕した際には伝言役の1人以外は皆殺しにしていたり、スペイン人捕虜の心臓を引き裂いて部下たちに食べさせたりなど残酷な伝承が多く、その冷酷さから「スペイン人の災厄(Fléau des Espagnols)」と呼ばれています。
マラカイボとジブラルタル襲撃(1666年)
1666年にロロネーは、8隻・650人の部隊を率いてベネズエラのマラカイボとジブラルタルを襲撃しました。この襲撃では、現地住民を拷問して財宝のありかを聞き出し、大量の略奪品を得ています。(余談ですが、この襲撃が1669年のモーガンによるマラカイボ・ジブラルタル攻略に繋がっていったそうです→モーガンによるマラカイボ・ジブラルタル湾の戦いについてはコチラ)
パナマ遠征と最期(1668年頃)
マラカイボとジブラルタル襲撃事件後も中米沿岸を荒らし続けましたが、ユカタン半島でスペイン軍に敗北し、死を偽って脱出。その後トルトゥーガ島で新たな艦隊を整え、パナマを目指して遠征を行いましたが、船が座礁し窮地に。飢えと絶え間ない先住民の襲撃に苦しんだ彼は、部下と共にダリエン湾(現在のパナマとコロンビアの国境地帯)に上陸。しかし、そこで出会った先住民のクナ族に捕らえられ、生きたまま切り刻まれ、火で焼かれ、食べられるという壮絶な最期を遂げたそうです。
まとめ
ロロネーは、その残忍さと恐怖政治でカリブ海を席巻した海賊でしたが、最期は皮肉にも自らが行ってきた残虐行為と同じ方法で命を落としています。 彼の名は、今なお「最も冷酷な海賊」として歴史に刻まれているそうです。